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2009年6月

天つ巻  第七帖

日本の御仕組、いつも二本となりてるぞ、

一本足の案山子さん、今更何うにもなるまいが、

一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、

一本足では立てないと

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片足だけではしっかりと、地に足つけて腹据えてたつこともできず、
片手だけでは、体のバランスも取り難い。

足は自分の腹、考え方を指すと思う。
片手だけでは差し伸べる手を掴む事も、崖っぷちでぶら下がった状態の
時には、助けを乞う事もできず、そして、協力もお願いできない。

自分ひとりの世界ではない、常に支えあい、協力が必要なこの世の中。
家族のことを考える、この人たちがいなければ、今の私は存在しない。
感謝の念で頭が下がる。

ありがとう。




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天つ巻  第六帖

地獄に住むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞ、

逆様はもう長うはつづかんぞ、無理通らぬ時世が来たぞ、

いざとなりたら残らずの活神様(いきがみさま)、

御総出ざぞ。

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次元というか、理解力なのか?
相手に通じないことがあります。相手が思い込んでいる場合や、
声は聞こえているけれど、脳内をスルーしてしまうのかしら?
って思うことアリ。
その人にとっては、自分の考えが一番正しい!って言う人に限り
理解、納得してくれません。
おまけに自分で地獄=つらい状況を作り出しています。
首をうん!と、縦に振らないからです。この症状の人が多々います。

首周りに現れている人が。多いです。
私もありました。頑なに考えを転換しない時があり、ある朝起きてみると、
寝違いで起き上がるのもつらく、どうしてかと、自分を振り返りました。
あぁ、このごろの自分は頑なだったな・・・っと。

考えを改めることにより、少しずつですが肩周り、首周りが柔軟になってきました。

体は心を表し、心は地獄も天国も作り出す。
同じ作り出すなら、天国がいいに決まっている。

それは誰が見てもの天国でありたい。



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天つ巻  第五帖

獣の食ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、

神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、

何たべても大じょうぶになるのぞ、

何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、

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昔、霊能力者の方が(今は亡くなってらっしゃるとか・・・)
テレビの某番組内にて、亡くなった方へのお供えのことについて話されていました。
あの世の方への労いで、「例えばあなたがおそばを食べるときに、
『おじいちゃん、どうぞ。』って、一本だけ、器の端にでもよけて、一緒におそばを
いただくと喜んでくださいますよ。あの世では、この世の少しのものでも、
いっぱいになります。なので、山盛りにお供えするとあの世では大変なことに
なるんです。」と。

この世では量は少なくとも、気持ちがあればたくさんに増えるんじゃないかと、
思った記憶があります。
お供え物と一緒に気持ちも添える・・・って大事です。
このことを聞いて以来、食事の時に、
おかずの一品をちょっと添えることをしています。

たまに忘れるけどね。。。




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天つ巻  第四帖

智恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、

さう云へば智恵や学は要らんと臣民早合点するが智恵や学も要るのざぞ。

悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れてくだされよ。

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知識は必要、でも人間としての智恵も必要。
判断力がいるぞ、と、言っていると思う。

何気ない会話の中に、ふと耳にした事柄があり。
細い道でのこと、二台の車が、譲りあえばスムーズに
通れるのに、どちらも行けると進んできた。どちらが
譲ればうまくいくか、とっさの判断をしろ!と、運転手は
怒っていましたが、それはお互い様です。

別の人も、年代の問題もあるけどなぁと言ってましたが、

そうかな?と思う。

向こうが引くべきだ、こちらが引けば負けだ。とか。
そのための二台の車がにらめっこ。
後続の車が大迷惑の大渋滞。それって、いらないものだと、
思うよ・・・・・。




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天つ巻  第三帖

同じことばかり繰り返すと臣民申して居るが、

この方の申すことみなちがってゐることばかりぞ、

同じこと申していると思ふのは、、身魂曇りてゐる証拠ぞ。

改心第一ぞ。

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そうやなぁと思う。

ひふみ神もおっしゃっての通り、八通りに読めるんでしょう。
その時の自分の次元においての見解。

同じ花を見ても、あれ?なんとも思わない。という時がありました。
いつもなら、きれいだなぁと眺める時間も長くて、
見とれていたのですが、なんとも思えない時がありました。

これは重症だと!思いました。きれい植物には何か惹きつけられるものがあり、
ずっと眺めていると、時間がたつのも忘れます。

きれいなもの、いいものは高波動らしいですね。
なので、いいものは波動が高く、心地よい。
いつもと同じ風景なのに、何も感じないことがある場合は、
今の自分をこの次元なのだ。と、認識することが一番だとか。

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天つ巻  第二帖

これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。

今度は今までにない、文にも口にも伝えてない改造ざから、

臣民界のみでなく神界も引つくるめて改造するのざから、

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付け焼刃、とりあえずのその場しのぎに痛みを紛らわす膏薬=湿布。
ちょっと腰が痛いから、ちょっと肩が痛いから、湿布をはる。
楽になる。あぁ、これでいいや、もう痛くない。

それはよくあることなのですが、
根本から治さないと後々からだが歪んできてしまう。
例えば右の腰が痛い場合、体はその右をかばうが為に、
左ががんばって支える。

長年に渡り続けていくと、極端な場合、筋肉組織がその歪んだまま、
固まってしまう。ちっとやそっとじゃ、もとにもどりません。
痛みの原因を知り、生活態度から改めないと、大変です。

その背景には生活態度、心のゆがみも現れます。
気持ちが沈みこんだときって、猫背になります。このまま続けると、
想像できますよね。
なので、暗い気持ちを切り替えて、うれしうれしで過ごすこと。
これが神様への恩返しだと思う。



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天つ巻  第一帖

一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ。

三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、

地の御三体の大神様まつれよ、

天から神神様御降りなされるぞ、地から御神神様おのぼりなされるぞ、

天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたわれるぞ。

*******************************

自分の中にある、神さま、それはどんな思いをしてるでしょう?

日々、これはいけないことだったとか、こうすべきだったとか、

こうではなくては駄目だ・・・など。

何でも「MUST=しなくてならないこと」にしてはいないでしょうか?

なんでもMUSTで、縛り付けてしまうと何も楽しくない、自由ではない。

その思いは、はたしてうれしうれしの気持ち?

今迄の常識を省みること、もしかして良いと思っていたことは単なる

思い込みかもしれない。

ここは考え方の変化の時、「MUST」をはずしていこう。

そして、「うれしうれし」の御心ですごす。

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キの巻  第十七帖

すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから

一人逃れ様とてのがれる様とてのがれる事出来んのざぞ、

逃れようとするのは我よしざぞ、

今の仕事五人分も十人分も精出せと申してあろがな、

急ぐでないぞ、

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今の時代に生きる事って、どんなに避けてたって、
あとで何倍にも返ってくる課題がある。
今、目の前の課題を逃げてしまえば、「ちゃんと、今やっとかないと
後でしんどいことになるんだよ」って、どーんとでっかくなってやってくる。
同じしんどい課題なら、軽いほうが良いよ。
ならば、野球で言うキャッチャーのごとく、ミットをパンパン叩きながら、
「よーし、ばっちこーい!!」くらいの勢いで課題をクリアしていこう。

クリアの先には、ほら、あんなに楽になった自分がいる。

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キの巻  第十六帖

元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、

富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。

ひふみ道出で睦び、月の神足りて成り、新しき大道みつ。

****************************

祝いの言葉のようなヒビキ。
祝いと聞いて私は、職場で結婚された方が二組いて、
その方たちを思い浮かべます。その二組を見ていて、思うこと。

1、2、3、の二人三脚、お互い助け合い、支えあい、人というものを
築きあっていく。そんなことを思います。
人としての基本、信頼、絆、心のこと、それはなにより、大事だなぁと思う。
人間同士がぶつかり合い、磨耗しながら、きれいに磨かれていきますね。

ぶつかり合ったからと、憎み合うとそのミタマは、磨かれずキズがつく。
そのキズを修復できるか否かは、自分自身にかかってくる。
キズが深くなると、ゆがんだタマになってしまう。メグリになる。

そのメグリどのくらい、きれいに取り去り、磨けていけますか?

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キの巻  第十五帖

誠申すと耳に逆らうであろが、其の耳取替へて了ふぞ、

我れに判らんメグリあるぞ、

今度は夫婦でも同じ様に裁く訳にはいかんのざ、

子が天国で親地獄と云ふ様にならん様にして呉れよ、

一家揃ふて天国身魂となって呉れよ、


******************************


この神示を読んでいて、なんてあたたかなメッセージと受け取りました。
どうか、誰一人地獄に落ちることなく、天国の心で過ごしてほしいとの御心。
ありがたい。と思います。

家族というグループです。でも、そのなかには、色々な考え方を持つ者で構成されている。
だから、身魂磨き、切磋琢磨するんですね。情けはあるけど、ある基準に達成していない
場合は、落選です。自分は大丈夫、そう思っていても、落選する。
それは奢りではないか。。。

そんなことできない。では、なく。少しでもいいから、やる。
行動することが当選への一歩です。


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キの巻  第十四帖

心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、

九月八日の仕組み近ふなったぞ、

この道はむずび、ひふみとひらき、みなむずび、

神々地に成り悉く弥栄へ戦争つきはつ大道ぞ。

一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ、

その時になっておかげ落とさん様にして呉れよ、


****************************

出勤時に到着駅でのこと。
のぼりの階段を上っていくと、前に重そうなカートをもって上るご婦人が
いらっしゃいました。
お年を召していらっしゃったので、一言「お手伝いしましょうか?」
と、言いたかったのですが、その日は時間がなく急いでいました。

なので、後ろ髪をひかれましたが、仕事先へと向かってしまった。

ほんの少しのことなのに、恥ずかしくて声がかけにくかった、
急いでいたからって理由に逃げてしまった。そんな自分が悔やまれます。

そして、寂しくなります。今度こそは悔やまないような行いをしたい。


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キの巻  第十三帖

一厘のことは云はねばならず云ふてはならす、

心と心で知らしたいなれど、

心でとりて下されよ、

よく神示読んでさとりて呉れよ、

神たのむのざぞ。

*****************************

ひふみ神示を読む前は、とてもじゃないが難しいと
勝手に思い込んでいました。
いざ、なんでかひょいと書店で手にとって、買ってしまった。
読み始めるとなんと、涙があふれることもあり、
不思議なものだ。と思っていました。まったく、昔の言葉づかいなのに、
なんとなくわかる。

ある人に聞くと、これは心で読むものです。と。

そうか、心で感じるものなのね。
そう、心で感じ響くものを捉えるということはとても大事。

波動量は心で増やすものらしい。
どうしたらいいのか?と、頭の先で考えていたときもあり、
それじゃあ、しんどいばかり。
五感を研ぎ澄ませて、風の便りを感じ、光の微笑を受け取りましょう。



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キの巻  第十二帖

みぐるしき霊(たま)にはみぐるしきもの写るぞ、

それが病の元ぞ、みぐるしき者に、

みぐるしきタマあたるぞ、

それで早よう洗濯掃除と申してくどう気付けておいたのぞ。


**********************************

気持ちの整理とは日常茶飯事において、
とても大事なことだと、思うこのごろ。

それができるようになって、判断できるようになって
かなり楽になってきました。
以前は、会社の同僚の行動すべてがいやでしかたなかった。
それは、その人の考え方、変えようとしないココロなのだと、
そう身に染みて思えるようになると、
気持ちが楽になりました。

ココロの掃除がその後の自分の生活を楽にする。
大事なアイテムですね。







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キの巻  第十一帖

一二三(ひふみ)とは限りなき神の弥栄であるぞ、

一(ひ)は始めなき始であるぞ、

ケは終わりなき終リであるぞ、

神の能(はたらき)が一二三であるぞ、

始なく終なく弥栄の中今ぞ。

一二三は神の息吹であるぞ、

一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、

********************************

ナンバープレートを見るのが好きです。

めったにない数字の配列に出会うと「へー」と、面白いからです。

先日は、「123」という数字を初めて見ました。
このひふみ神示をかきつらねるように、なったからです。
きっとそう思うのですが。

「123」って言うのは、物事の始めに使われますね。
何事もはじめが肝心。初心わするべからず。

人として何が肝心?人としての心、当たり前のことが
忘れ去られ、なんとも痛ましい事件の多いこの世の中。

人としての心の扉を開け、今何をすべきか考えるとき。

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キの巻  第十帖

家内和合出来ん様では、

この道の取次とは申されんぞ、

和が元ざと申してあろが、

和合出来ぬのはトラとシシぞ、

どちらにもメグリあるからざぞ、

昼も夜もないのざぞ、坊主坊主くさくてはならんぞ。



和が元とあります。
平和の和です。でも、この中の和の意味が少し違うような
気がします。統一・・・結束・・・一団となる。
そんな言葉が浮かびます。平和って、のどかでのーんびり。
そりゃ、争いがないのが良いとも言います。
わかりますよ。だけど、心のなかには「和」がありますか?
それは、日本人の古来から持っている「和」というニュアンス。
言葉ではうまく説明できないけども、
心に響くものがある。  それが、古代人から受け継がれてきた
大切な日本の和合の和。

もう一度、この言葉の意味を深く読み取って、感じて生きたい。

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キの巻  第九帖

岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、

この神々様、御手伝ひでこの世のかため致したのであるぞ、

元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、

世界つくり固めから臣民つくりたのであるぞ、

何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、

何でこの世が治まるものぞ。



この世界は自分たち人間が当然のように、
好き勝手に資源を使っていますね。
この世が誕生するまでの苦労、どんなに私たちのことを
思ってくれているか、私たちが大変な思いをしないように
してくれているのに、その上に私たちはあぐらをかいている
ことが多すぎますね。
感謝の気持ちが少ないこの世の中。
誰のおかげで生きていけるのでしょう。
おかげさま、誰かがあなたのために、何か陰でしてくれています。
その人たちに感謝しています。

ごみ収集の人たちは、暑い中、においのきついもの、人が嫌がるものを
私たちの代わりに作業をしてくださっています。

ありがとう。

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キの巻  第八帖

今迄のして来た事が、

成程天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分かりて、

心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、

借銭負うてゐる身魂はこの世のおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、

早よう皆に知らしてやれよ。



神のこころ、子知らず、
なんて言葉が、浮かびます。
そして、子たち、私たちは、神の心が見えないときがある。
それは、神の波動の域に達していないから。
はるかかなたの雲間の上に、波動はある。
ただ、素直につながりすればいい。
むずかしくしているのは、自分自身と気づく。

休憩中にお茶を飲んで、本を読む。
ふっと、カップの中を見た。
ライトがうつりこむ。

「わが心の中に光あり・・・」

そんな言葉が降りてくる。
あぁ、そうだね。光は自分で曇らせたり、
光らせたり自由自在。自分次第。

ありがとう・・・





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キの巻  第七帖

元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、

人は沢山なくてもこの仕組み成就するのざと申してあろが、

末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、

キマリつけるのざから、気をつけおくぞ。


大和魂という言葉、体で感じることが少なくなりました。
昨今のニュースでも、生活している身近な中でも、
それって、人間としてどうなの?と思うことも多々あります。

自分さえよければのことも多い。
雨の日に持ち歩く傘。
閉じてきれいにたたんだ傘。、その人は後ろが
見えません。  見ません。
大手を振って歩くのは、晴れた日だけでいい。
ラッシュ時は、人との間隔があまりなく、傘の持ち主が
後ろに手を引くと、傘の先端がこちらを向く。
特に下り階段では、後ろにも人がいるので
急には下がれない。

お気をつけて。


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キの巻  第六帖

道場開き結構でありたぞ、

皆の者御苦労ぞ、知らしてある様に道開いてくだされよ、

天と地と合せ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ。

桜咲く所、桜と共に花咲くぞ

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キの巻 第五帖

この神示は心通りにうつるのざぞ、

思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、

心違ふと今度はどんなに偉い神でも人でもこの毒出来るぞ、

この方クヤム事嫌いぞ。


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キの巻 第四帖

カミの大事の肝腎の所が違ふた事になりてゐるから、

其の肝腎要の所元に戻さな何程人間が、

いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、

元の先祖の神でないと、此処と云ふ所出来んぞ


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キの巻 第三帖

雨の神風の神、地震の神、岩の神、荒の神様に

お祈りすれば、この世の地震、荒れ逃らせてくださるぞ、

皆の者に知らせてやりて下されよ、

この方イの神と現れるぞ、

キの神と現れるぞ、シチニの神と現れるぞ、

ヒの神と現れるぞ、ミの神と現れるぞ、

イリ井の神と現れるぞ、五柱の神様厚くおろがめよ、

十柱の神厚くおろがめよ。



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キの巻 第二帖  

神示読めば何も彼も判るようになりてゐること分らぬか、

おはりの御用御苦労であったぞ、

奥の奥のこと仕組み通りになりてゐる、

臣民心配するでないぞ、

一の宮は桜咲く所へつくれよ、

わかりたか、

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キの巻  第一帖

節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞宣(の)りて呉れよ、

拍手は元の大神様の全き御働きぞ、

タカミムスビとカミムスビの御働きぞ、御音ぞ、和ぞ、

大和のことぞ、言霊ぞ、喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。

節分境に何も彼も変わりて来るぞ、何事も掃除一番ぞ。

 

節分は追儺(ついな)ともいわれた、大晦日の宮中の年中行事です。平安時代から
続く、鬼払いの儀式です。 儺は儺(おにやらい)とも読み、「鬼やらい」ともあらわ

されます。    この儀式を、私は漫画の安倍晴明を読んでしりました。
とても荘厳な儀式として描かれていました。  自分の中にもある『鬼」をこのように

追いだしていきたいものです。

  

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